
丸井Voiの洋服、オーストラリアstussyのTシャツからミュージシャンの高鈴のジャケットまで、イラストレーションの範疇にとどまらないmicca(ミカ)の作品は国内は元より海外での評価も高い。また、いろんな分野のクリエイターとのコラボレーションを次々と形にするmiccaに、自身の絵に対する姿勢や今後の展開を聞いた。
photo:佐々木伸浩 interview:庄野裕晃(visiontrack)
text:竹内夕子&庄野裕晃(visiontrack)

庄野:絵はいつ頃から描いていたのですか?
micca:絵は幼稚園の頃から習いに行っていました。中学生くらいからはずっと油絵を描いていて、大学でも油絵を描いていました。大学の頃は作品のコンセプトなどを考えすぎて、悩んだりして落ち込んでる時期もありました。そしてやっとその暗闇を抜けたころには、もう卒業の時期で・・・。
庄野:では、イラストレーターになったきっかけは何だったのでしょう?
micca:描くこと自体にはいろいろ行き詰まりつつも、油絵はやめられないなぁと思っていました。しかし仕事にしようと言う考えもありませんでしたし、大学を卒業して就職、という考えも私には全く浮かばなかったんです。そんな中で、ふと思いついたがイラストレーターという仕事だったんです。

庄野:miccaさんにとって油絵とイラストの違いは?
micca:私にとって、油絵はとても大事で守っていきたいものというか、人に何か言われたりしたくないものなんです。 それに自分と近すぎて、職業にしようとはとても思えなかった。ところが、ある時クロッキーの課題で 描いた絵が、すごくリラックスして好きに描いたというのもあって、自分も楽しめたし、評判も良かったんです。 その時の絵が、今のイラストの原型と言えるかと思います。それで、こういう形の絵なら仕事にできるかも しれないなと思って、なんか調子に乗ってしまったって感じです(笑)。今から思えば、イラストレーター というのは本当に思いつきでしたが、「イラストレーターになる」って公言して、 「東京の青山塾(イラストレータースクール)に行くわ!」ってあっと言う間、週一回の学校のために 上京してしまったというわけです…。

庄野:miccaさんは初仕事が装丁家として著名な鈴木成一氏による村上龍氏の「ダメな女」とイラストレーターとして華々しいデビューを遂げていますが、どういう経緯だったのでしょうか?
micca:青山塾の授業の中で鈴木成一さんの特別授業があったのです。それまでは、この学校でもまた落ち込んでいて(笑)。周りの人と全然絵のタイプが違うし、何で私はホノボノとしたものが描けないのだろう…と悩んでいました。尊敬しているイラストレーターの先生たちに言われる事も理解しきれなくてしんどかったですね。 そんな中で、鈴木さんの授業は「アートディレクターという職業」についての講議でしたが、その当時は、そういう職業があること自体知らなかったし、本当に新鮮で面白かったんです。
庄野:その講義が鈴木さんとのお仕事のきっかけとなったのですか?
micca:その時に鈴木さんが手掛けてらっしゃるお仕事、装丁を知って、この方に絶対作品を見てもらいたいと思いました。 それで、さぼろうかな?と思っていた合評にも、鈴木さんに見てもらえると思って出したんです。それも課題の絵ではなくて、自分が見て欲しいと思う絵を素で描いて出したので、その時に言われたことは、いいことも悪いことも納得できました。 それから半年後の卒業展示会で鈴木さんに、また絵を見ていただいて、その時に 「ファイルを送っておいで。」と言っていただいたので即効送りました(笑)。

庄野:そのファイルを見られた鈴木さんからオファーがきた、というわけですね?
micca:「ダメな女」の仕事はその半年後、鈴木さんから直接お電話をいただきました。でもお電話をいただいた時、実は私、イラストをあきらめて就職しようと思ったりして、傷心ロンドン旅行中だったんです。 帰ってきた時は初めにいただいた電話から3日過ぎていて、成田でその留守電を聞いたんです。 「逃げたかと思った」などと言われました(笑)。
そんな感じでスタートしたので、当然スケジュールはカツカツで、でも私にとっては初めての仕事でしたし、描く時間よりも打合せがしたくて、鈴木さんに時間をつくっていただきました。打ち合わせで言われたことは「線だけで」ということくらいで、後は自由にさせてもらいました。「ダメな女、ですぐ思いついた」と微妙な発言もされつつ「好きに描いていいよ」と、本当に野放しでした。その後は締め切りまで3日という感じ。その頃バイトもしてたので、働きつつ、2日くらい徹夜して、それで締め切りの日に直接持ってきました。そのせいか、描いてた時の記憶があんまりないです(笑)。
庄野:劇的な初仕事だったんですね(笑)。どうやってその絵を組み立てていったのか覚えていますか?
micca:そうですね、覚えているのは、「ダメな女」って字の下にダメな女は描くまいと思って描いていたことです。それから、描いていくうちに村上龍さんの話には鉛筆のほうが生っぽさが出ていいなと思ったので、 「ボールペンで」という話ではあったんですが、鉛筆とポールペンで同じ絵を描いていきました。 それを鈴木さんに話したところ快諾していただいて、それがうれしかったことも覚えています。

庄野:その後、いろんなお仕事をされたと思いますが、miccaさんのお仕事を見ていると、用意されたスペースに単にイラストを埋める、というよりはもっと絡んでいくというか、常にデザイナーさんともコラボレーションする意識で仕事をされているように思います。「高鈴のCDジャケット」や「EV by et voのT-Shirts」などのお仕事は、まさにそうだと思いますが仕事をする上でmiccaさんにとってのイラストの位置づけと言うか、姿勢と言うか、その辺の話をお聞かせください。
micca:「絵」と違って、イラストにはデザイン栄えが重要だと思っています。だから、イラストレーター 一人だけで演じる舞台の仕事はないというか、クライアントさんやデザイナーさんあってこその仕事だなと思っています。それに描く作業事体は一人なので、そういう一瞬のコラボ気分は楽しいんです。もちろん思い通りにいかない事もたくさんあるのですが、そういう部分が面白くて、難しくて好きです。あとは物としてよく見えたいという事をいつも思うので、絵をしっかり見せると言うよりも、いい形でその物に関われたらいいなと思っています。

庄野:現在されている仕事で、丸井voiの企画などはまさにその類いですね?
micca:そうですね。普段お洋服の仕事では、ただイラストのみを提供するということが多いのですが、丸井voiの企画では、まず「イラストレータが作る洋服」というコンセプトを提示されて、商品企画から関わることができました。そこで洋服のデザインは主にある友達にお願いして任せて、それから二人でイラストの載せ方、洋服の生地、形などを試行錯誤で作っていきました。このときもやっぱり、イラストが用意されたように入ったものは作りたくないと思って、服としていいか?を一番に考えて作りました。はじめクライアントからはイラストがわかりやすく入った感じを求められている気がしたのですが、会議を重ねるうちに理解し合えた感じがあって、それがとても楽しかったです。

庄野:Voiの洋服もとても好評ですが、オーストラリアstussyのT-shirtsに抜擢されるなど、 miccaさんのイラストは日本はもとより海外での評価がとても高いです。
stussyの時は最初、日本ではなくオーストラリアstussyから依頼があったと聞いてびっくりしました。 デザイナーのエマが来日した際に青山ブックセンターで買ったpictbookletを見て仕事を頂いたのに続いて、 お会いしたときに渡したポストカ−ドの作品を見て、また仕事を頂いてと、その流れも含めすごく面白かったです。
庄野:海外で評価される理由はご自分では何だと思いますか?
micca:絵を見た方からはよく「フランスっぽいモード」とか、「日本のモガみたいなちょっと懐かしい感じ」とか言われますが、私としては「日本の〜」っていう言われ方のほうが当たっているように思っています。なぜかというと私は「曖昧さ」とか、外国の言葉ではちょっと表現しにくい部分を表現したいと思っているので、私の描く絵はすごく日本的だと思っているんです。海外での反応は、そういう日本っぽさが伝わるからかな?と思います。うーん。でも、海外の人の意見は私自信興味深々で、私が聞いてみたいくらいです(笑)

庄野:今後、そういった海外での展開を含めやってみたい仕事は何でしょう?
micca:海外の雑誌なんかで、すっごい贅沢なペ-ジで描いてみたいです。半ページ余白とか…。 広告とかでも贅沢なスペースで描きたいですね!個展などでイラストを使った空間表現をしてみたいし、 あと絶対やりたいと思っているのは映画とか舞台のポスターです!

庄野:絵を描くうえで余白や広いスペースがキーになっているようですね。
micca:そうですね、余白がいっぱいもらえるとか、絵に合わせて紙質をかえてもらえるとか、 無駄な事をやらせてもらえるようなイラストレーターになりたいです。なぜなら、私が作品を描くときに 最も意識しているのが、周りの空間なんです。女の子を描いているのでどうしても、 そのモチーフにとらわれがちですが、私はその周りを大事にしたいと思うんです。ものすっごい小さくてでも、 強いものだけを持たせて、そこから見る人が広がっていけるような絵を描いていきたいです。